Woke Capitalism
政治的に正しくふるまうことは、そうでない場合よりも多くの経済的なベネフィットをもたらすか?
SNS含めて拡散性によりポリティカル・コレクトネスが浸透した結果、政治的正しさによって利益を得ることができるようになっていっているのかもしれない
Woke Capitalismでは従業員やユーザーなどの声に耳を傾け、社会正義のために行動を起こすことが優先される。社会正義とは、気候変動、銃規制、人種差別、LGBTQ+を含めたジェンダー平等、性暴力の廃絶などの課題解決が挙げられる。 Woke Capitalismを推進する企業は、ITやメディア、金融、エンターテイメントといった業界などに多い。こうした業界はユーザーのみならず、自社が抱えている若いエリート層の従業員達の意思を尊重する必要があるからだ。しかし、保守派の支持層などはこうした動きを良く思わず、批判や反発の声も上がっている。 醒めた資本主義とは、大企業やCEO、億万長者が、通常は進歩的な左派に関連する政治的大義を公的かつ財政的に支援する現代の現象である。MeToo運動、黒人差別撤廃運動、同性婚、気候変動活動、動物愛護などは、大企業が近年支援した明らかに分裂的な政治的大義のほんの一部に過ぎない。支持者たちは、企業には「利害関係者」に対する責任があると主張する。 資本家にとってウォーク資本主義には二つのメリットがある。一つは消費者の信頼を獲得することだ。事業を金儲(もう)けでやっているのではなく、社会正義実現のためにやっているのだと思わせてしまえば、消費者はその企業の商品を購入する。また、その企業で働く労働者を「社会貢献だ」と言って、低賃金で働かせることもできる。つまり、企業が社会貢献活動をアピールするのは、人や地球のことを考えているのではなく、安定してカネを稼ぎ続けるための手段なのだ。本書に登場する事例は、海外のものだが、日本企業、あるいは日本政府がやっていることも、本質的に同じだと思う。 その結果、NFLはキャパニックの行動を「自分たちの商業的利益にならない」と判断して、次のシーズンに彼と契約するチームは一つもなく、キャパニックは早すぎるリタイアを迎えることになった。
ところが、2018年9月NFL開幕直前に、キャパニックは「何かを信じろ、たとえすべてを犠牲にすることになっても#Just do it」というツイートを上げた。Just do it はナイキのスローガンである。そして、その後ナイキは「ドリーム・クレイジー(とことん夢みろ)」という大規模な広告キャンペーンを展開した。TVCMのナレーションを担当したのはキャパニック。彼は「どんな障害があっても、自分の夢を追いかけよう」と呼びかけた。(201頁)
トランプは激怒し、このキャンペーンのせいでナイキは「怒りとボイコットのせいで息の根を止められるだろう」と予言した。同時に、トランプは、キャパニックの「非愛国」的ふるまいのせいで、アメリカ人たちはフットボールの試合をテレビで観ることを止め、それがNFLに莫大な損害を与えるだろうとも予言した。
この時トランプは図らずもアメリカにおける右派の三つの伝統的立場を明らかにした。一つは「伝統的な愛国者は国旗国歌に敬意を示すべきである」、一つは「資本家は雇用している労働者を支配できる」、一つは「ある種の政治的主張は経済リスクを伴う」である。愛国心、労使関係、政治的主張と商業的利益の関係、三つの大きな論件をトランプはキャパニックの一件で前景化してみせた(わずかな語数で問題の本質を明らかにできるという点でたしかにドナルド・トランプは一種の天才である)
「愛国的であるとはどのような行為のことを指すのか」、「労働者は資本家に対してどのようにして自分たちの権利を守るべきか」。この二つはいわば「近代的な」問いである。さまざまな人がこれまでそれぞれの知見を語ってきた。でも、第三の問いは違う。これは近代においてはたぶん一度も(マルクスによっても、ウェーバーによっても)立てられたことのない問いである。それは「政治的に正しくふるまうことは、そうでない場合よりも多くの経済的なベネフィットをもたらすか?」である。 そして、2018年にナイキはこの問いに「政治的に正しい方が儲かる」という答えを出してみせた。
ナイキの「ドリーム・クレイジー」キャンペーンは最終的に大成功を収めた。「大手企業がキャパニックのアクティヴィストとしての大義を支援することに、感銘を受けた左派の人々もいた。(...)揺るぎない政治的信念を持つ人と関わるリスクは十分に報われた」のである。(212頁)このキャンペーンの後、ナイキの株価は5%上昇し、時価総額は60億ドル増加したからである。 もう一つナイキの勝利に対しての留保がある。これがこの本の核心である。それはナイキがキャパニックのアクティヴィズムと歩調を合わせたのは、それによって得られる商業的利益をめざしたからだというものである。ナイキは商業的利益やブランドイメージの改善を得られる見込みがあったので、キャパニックの政治的主張を利用した。「企業が自分たちの利益のために、他者が作り出した流行に乗っているだけではないかと問うべき理由は十分にある。」
「NFLはビジネスであり、ビジネスである以上、顧客を無視するわけにはいかない。(...)世界がブラック・ライヴズ・マターを支持するならば、NFLもそうすることが商業的には当然である。」(230頁)
このNFLの変節を著者はきびしく咎める。NFLがBLM運動への支持を表明したのは、ただそうしないと顧客が離れると思ったからである。NFLだけではない。「あらゆる種類の企業が素早くこの流れに乗り、公式に声明を出した支持を表明した。現に、反人種主義への支持が主流となった政治的環境において、世界中の企業が政治的に覚醒したふりをした。」(231頁)
著者はこれを「企業が自らのブランドを政治的大義と一致するように行動する『ブランド・アクティヴィズム』」とみなす。それは「国民感情へのあからさまな迎合」であり、「中身を伴わない『売名行為』」に過ぎない。
私は日本については「ウォーク資本主義が民主主義を滅亡させる」ことをそれほど気に病む必要はないと思う。日本の民主主義を今滅亡させつつあるのは新自由主義者たちの「意識低い系」資本主義の方であり、たぶんこちらの方が手際よく日本の民主主義に引導を渡してくれると思う。
むろん、そのことは本書の価値をまったく減ずるものではない。本書がわれわれに教えてくれる最も貴重な情報は、日本にはウォーク資本主義が出現する歴史的条件が整っていないという事実である。日本の資本主義はアメリカのビジネス書がもうリーダビリティを失うほどに世界のトレンドから遅れているという事実である。